だんだん見えてくるもの
物事の見え方は、その時々に違う。 同じものを見ていても、感じ方が違う。 興味湧かず、 何も感じなかった、気づかなかったものが、 美しく見えはじめ、心を捉えるような魅力あるものに変わることもある。 その反対も然り。 自分の人生をいつも振り返る。 道を誤った。あのとき選んだ道が行けなかった。だから今、こういう苦労をするのだ、と思っていたことも、 他の時には、いやもしこの道を歩んでこなければ、今のこのことはなかったと思い直したり。 特に人との出会いでそれを感じる。 多くの人と出会ってきてその関係が継続している人は少ない。 自分は人付き合いが下手くそで不器用 わがままで支配的だからだと思う。 上っ面はいいのだが、苦手と思った人は、切り捨ててきた。 小度胸だからはっきり言えず、悪者にもなりたくないからフェードアウトしたり、つまらない人間だと思わせたりしたように思う。 いや実際つまらない魅力のない性格だ。だから人が寄り付かない。 この人と一緒にいたいと思ってもらえるようにはできない笑 仕方ない面がある。生まれ育った環境と自分の生まれ持った性格がそうさせてしまっているのだから。 しかし、誰かの役に立ちたい、苦しんでいる人を助けたい、悲しんでいる人を慰めたい、そういう思いをもって関わった人はたくさんいる。 が、いっときだけで、繋がり続けられない。そういう終わり方をどう自分は評価しているのか。 自分は逃げてばかり、という評価みたいだ。 これが積もり積もって自分という人間の価値を低くしている。 自分で自分は駄目な人間、できそこない、存在してもしなくてもいいようなもの、そんな評価をくだしているようだ。 でも、だんだん見えてきた。 ほんの一時でも、誰かの悲しみや苦しみに共感し、寄り添って、助けになろうとしたこと、してきたこと、そして相手が元気になったことがあったということを。 よくやったぞ自分! そう褒めてあげたらどうだろうか。 だんだんとそんな考えが見えてきた