よーわからん ブレまくり(^^) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 3月 26, 2024 SNS いろいろあって どれをどう使うか わけわからなくなってる・インスタ 写真を見せたいとき・Threads インスタつながりなのでポジティブ投稿・X ネガティブ投稿・Face Book なんとなくクリスチャン内容・LINE 連絡用 笑そんな感じかなでもがっつり信仰のことを書き残すのってなー 内容がね どうしても重いからこのブログをそういうのにしようかなー リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
Good Friday 3月 28, 2024 2:22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 2:23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。 2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。 Ⅰペテロ2章 53:1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。 53:2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。 53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。 53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。 53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。 53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。 53:9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。 53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、... 続きを読む
Happy Easter 3月 30, 2024 死んだはずのイエスが 生きている しかも パワーアップしてる... マリヤは驚いただろう その驚きは想像できない... 驚きにはいろいろある うれしいもの かなしいもの 怪しむもの などなど 驚いた経験 気持ち 最近あるかな その気持からしかイエスの復活を追体験して身近なものにし 自分のものにすることはできないのではないか と思う なんか驚きたいなー 続きを読む
だんだん見えてくるもの 4月 13, 2024 物事の見え方は、その時々に違う。 同じものを見ていても、感じ方が違う。 興味湧かず、 何も感じなかった、気づかなかったものが、 美しく見えはじめ、心を捉えるような魅力あるものに変わることもある。 その反対も然り。 自分の人生をいつも振り返る。 道を誤った。あのとき選んだ道が行けなかった。だから今、こういう苦労をするのだ、と思っていたことも、 他の時には、いやもしこの道を歩んでこなければ、今のこのことはなかったと思い直したり。 特に人との出会いでそれを感じる。 多くの人と出会ってきてその関係が継続している人は少ない。 自分は人付き合いが下手くそで不器用 わがままで支配的だからだと思う。 上っ面はいいのだが、苦手と思った人は、切り捨ててきた。 小度胸だからはっきり言えず、悪者にもなりたくないからフェードアウトしたり、つまらない人間だと思わせたりしたように思う。 いや実際つまらない魅力のない性格だ。だから人が寄り付かない。 この人と一緒にいたいと思ってもらえるようにはできない笑 仕方ない面がある。生まれ育った環境と自分の生まれ持った性格がそうさせてしまっているのだから。 しかし、誰かの役に立ちたい、苦しんでいる人を助けたい、悲しんでいる人を慰めたい、そういう思いをもって関わった人はたくさんいる。 が、いっときだけで、繋がり続けられない。そういう終わり方をどう自分は評価しているのか。 自分は逃げてばかり、という評価みたいだ。 これが積もり積もって自分という人間の価値を低くしている。 自分で自分は駄目な人間、できそこない、存在してもしなくてもいいようなもの、そんな評価をくだしているようだ。 でも、だんだん見えてきた。 ほんの一時でも、誰かの悲しみや苦しみに共感し、寄り添って、助けになろうとしたこと、してきたこと、そして相手が元気になったことがあったということを。 よくやったぞ自分! そう褒めてあげたらどうだろうか。 だんだんとそんな考えが見えてきた 続きを読む
コメント
コメントを投稿